秋空がきれいな日曜日、足柄にある寄(やどりぎ)という町で、種の交換会に参加してきました。
今回の交換会を主催者は根本さん。
以前、種の関係のイベントでご挨拶してから、種つながり、ということで今回急遽参加させていただくことになりました。
「ご家族でどうぞ」とも言われてないのに(!)、突然日曜に6歳の息子を含めて家族で押しかける形になってしまい、ご迷惑をおかけしないかなあ…と心配しながら到着しました。
が!根本さんのお宅に着いたとたん、そんな心配はすがすがしい秋空に吹っ飛んでしまいました。
とっても気さくな、オープンな方で、うちの子も緊張した様子もなく庭に作られたブランコに駆け寄りさっそくブランコを楽しみ、ニワトリにえさをやる!と走り回ります。
そして個人的に一番感動したのは古民家を見事に!素敵に改修されていたことです!
こんな素敵なところでイベントを行うなんて、すごい…。
うちのような狭いマンションでは無理だ…。
そして、そのアレンジのうまさ、お部屋のかわいさに憧れてバシャバシャ写真を撮ってしまいました。
こんな家で子供と一緒にのんびり過ごせるなんて、毎日、さぞや楽しいのでは?
わんちゃんも、種の交換会をお庭でのんびりやっている人間たちに、時々「かまってー!」と近寄ってくるので、よしよしとなでながら種を交換。
種の交換会だけでなく「種子―みんなのもの? それとも企業の所有物?」の上映会もイベントに入っています。
種はだれのもの?という話は、種屋の私たちからすると実は深刻な話なのです。
主要作物種子法の廃止や、種という生命に対する特許とは?などなど、ちょっと複雑な話になってしまうのです。
そして、近年、世界のあちこちで種にまつわる制度が作られ、どんどん変更されていることについて、
普段考える人は関係者以外ほとんどいないのが現状だと思います。
「種」というのは命の源で、私たちは「種」なしには生きていくことができません。
そして、その種という生命に対する所有権をめぐる問題には、必ず倫理的・感情的側面も関わってきます。
「種」について考える人がほとんどいないということは、
「種」にまつわる社会制度に対して意見を言う人がほとんどいない、ということです。
意見を言う人があまりにも少ない、ということは、利益を享受する一部の人間が、
私たちの知らぬ間に自分たちの都合の良いように制度や法律を作り上げてしまうのを許す、ということ。
気づいたときには取り返しがつかない事態になるかもしれません。
実は、それはすでにじわじわと始まっています。
マイクロ・ソフト社を世界的企業にしたビル・ゲイツ氏は、あと20年遅れて生まれていたら、コンピューターではなく種の所有ビジネスに参入していただろう、という噂話もちらほら。
そんな逸話がささやかれるほど、生命や遺伝情報である「種子」を所有するということはこれからの世の中にとって大きな意味を持つものだと言えます。
今回のような気軽に誰でも参加できるイベントを通して、楽しみながら、
でもちょっと立ち止まって種について考えてみることによって、私たち一人一人の選択肢が変わり、
大きなうねりとなってより良い制度や法律が作られるようになればいいな、と思います。